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Section 1.2 集合と論理

集合の元や包含関係に関する用語を準備することから始めよう。この本では集合の定義はしないが、その理由についてこの節の最後で少し触れる。
\(x \in X\)と書いて、\(x\)集合(Set)元(element)という。 逆に書くこともある(\(X \ni x\))。\(x \in X\)であることを、\(x\)\(X\)属する(belong)ともいう。 \(X\)をなにか空間的なものとして扱う時(例えば三次元ユークリッド空間\(\mathbb R^3\)も集合である)、\(x\)\(X\)の点であるという。
数学者のほとんどは元を小文字で、集合を大文字で書く習慣がある。できる限り数学の習慣に従った書き方をすれば、数学的記述をわかりやすいものにすることができる。
\(X, Y\)を集合とする。任意の\(x \in X\)に対し、\(x\in X\)なら\(x \in Y\)であることを\(X \subset Y\)と書いて、 \(X\)\(Y\)部分集合である(subset)という。これも逆に書くことがある。\(X\subset Y, Y \subset X\)であるとき、\(X=Y\)と書き、 これら集合は等しいという。
数学における条件を記述する場合、込み入った内容になればなるほど、書き手でさえも混乱を生じる可能性がある。これを避けるために論理記号(logical symbol)を 導入する。\(P,Q\)\(x\)についての何らかの条件を表しているとき、「\(P\)ならば\(Q\)である」ことを\(P \implies Q\)と書く。 また、「任意の\(x\)について\(P\)が成り立つ」という文は\(\forall x P\)全称記号(universal quantifier)で書くことにより表現し、 逆に「\(P\)を成り立たせるような\(x\)が(複数あってもよい)存在する」という文は存在記号(existential quantifier)を使って\(\exists x P\)と表す。 \(\exists\)にエクスクラメーションマーク(!)をつけて\(\exists ! x\)とすることにより、だた1つ存在することを表す(一意的に存在する、という)。
集合\(X\)とその任意の元\(x\)を考える。\(P(x)\)\(x\)についてのなんらかの条件とするとき、\(P(x)\)を満足するような\(x\)の全体は自然に\(X\)の部分集合となる。 これを
\begin{equation*} \{x; P(x)\} \end{equation*}
\begin{equation*} \{x|P(x)\} \end{equation*}
で表し、内包表記(builder notation)による表示などという。
元を全く含まない集合を空集合という。内包表記で定義すると、
\begin{equation*} \emptyset := \{x; x\neq x\} \end{equation*}
である。
集合\(A,B\)の元\(a, b\)のペア\((a,b)\)順序対(ordered pair)といい、順序対全体の集合を\(A\times B\)と書き、直積集合(product set)という。 自然数\(n\)に対し、\(n\)回の直積を\(A^n\)で表す。
\(A\)を集合とする。\(A\)のすべての部分集合の集合を\(2^A\)\(\mathcal P(A)\)と書き、\(A\)冪集合(power set, powerset)という。例えば、\(A=\{0,1\}\)としたとき、\(\mathcal P(A)=\{\emptyset, \{0\},\{1\},\{0,1\}\}\)である(演習問題1.7も見よ)。有限集合\(A\)の任意の元\(a_1,\dots ,a_n\)に対して、各元を含むか含まないかの2通りの選択肢があるので、\(\mathcal P(A)\)の元の個数は\(2^n\)個である。
\(I\)を任意の集合とする。各\(i\in I\)に対して集合\(A_i\)が定まっている時、すべての\(A_i\)をひとまとめに扱って\((A_i)_{i\in I}\)と書き、族(family)という。添字集合が自然数\(\mathbb N\)などのわかりやすいものであれば、外側の括弧を略して\(A_n\)と書くこともある。
関数という言葉は通常、数から数への対応関係のことを指すであろう。現代数学においては定義域と値域を拡張し、任意の集合とする。この概念を写像(mapping)という。 これはほとんど言葉の些細な用法の違いであるが、関数といえば特に数から数への写像であると思ってよい。 集合\(A\)から\(B\)への写像\(f\)のことを\(f:A \to B\)と書き、\(a \in A\)に対して\(f(a)=b\)が対応することを\(a \mapsto b\)で表す。 写像を定義する場合には例えば\(f:\mathbb R \to \mathbb R; x \mapsto x^2\)などと書く(\(\mathbb R\)は実数の集合)。
\(f:A\to B, g:B\to C\)で、
\begin{equation*} fの値域 \subseteq gの定義域 \end{equation*}
であるときに限り、写像の合成(composition)\(g \circ f\)を、
\begin{equation*} g(f(x)) \end{equation*}
で定義する。

Example 1.2.1.

つまらない例ではあるが、\(XY\)平面は\(\mathbb R^2\)と思うことができる。

Proof.

具体的に写像を構成して示す。
\begin{equation*} \pi_A:A\times B;(a,b)\mapsto a, \end{equation*}
\begin{equation*} \pi_B: A\times B;(a,b)\mapsto b \end{equation*}
とおく。 \(u\)\(u(x):=(f_A(x),f_B(x))\)で定義する。\((\pi_A \circ u)\)\(x\mapsto (f_A(x),f_B(x))\mapsto f_A(x)\)という送り方をするので、題意が従う。 \(\pi_B\)についても同じように考えれば明らかである。 一意性を示そう。仮に\(u\)の他に\(v\)が存在して、
\begin{equation*} v(x)=(s,t)\in A\times B, (\pi_A\circ v)(x)=s \end{equation*}
となったとき、可換性から\(f_A(x)=s\)である。\(f_A\)\(\pi_A\circ u\)とも等しかったので、\(u\)の定義から、結局同じ写像を考えていることになっている。 つまり、他に可換性を満たすような写像を考えても\(u\)に一致する。これはつまり一意性を意味する。

Remark 1.2.3.

これは、第6章で学ぶ圏論(Category theory)の結果を下ろしてきたものである。直積は集合論における非常に基本的な構成法であり、のちに学ぶ群論や可換環論でも頻出する。 圏論的には、集合とは、集合全体の集まり(圏\(\mathbf{Sets}\))の一点のようなものである。上の命題では集合のすべての直積に成り立つ普遍的性質を証明したが、群や可換環、はたまた集まりの集まり(小圏の圏)に至るまで同じ命題が成り立つ。 異なる対象の集まり同士の間に共通の構造を見出すことこそが圏論の一つの大きな意義である。 なお、直積の兄弟的存在としてDisjoint union(非交和)\(A\sqcup B\)がある。これは\({(A\times \{0\})\cup (B \times \{1\})}\)で定義される。Disjoint unionの各元は\((x, 0か1)\)という形をしているが、これは\(x\)の出身が0(Aから)か1(Bから)でラベル付けされているようなものと思ってよい。 さきほどの命題における直積をDisjoint unionに、そして写像の向きをすべて逆にすれば、Disjoint unionについても同様の命題が成立する。
初めの方で「集合の定義はしない」と言ったが、その理由を少し話そう。(興味がないなら飛ばしてよい)
数学で通常用いる論理体系は"ZFC"と呼ばれる。これは「ツェルメロ-フレンケル集合論(Zelmero-Fraenkel)+選択公理(Axiom of choice)」の略である。このうち集合の扱いについて書かれているのがZFの部分である。しかし実は集合の定義はしておらず、この本でしたように「集合という概念の存在」と「元の帰属(\(\in\))」という二つのものを無定義概念(定義せずに認めるということ)として扱っている。 それに加えて集合と帰属関係が満たすべき公理を列挙することで、集合を直接定義せずに済むようにしている。というのも、この章の第5節で説明する「ラッセルの逆理」のような論理的矛盾が生じてしまうということが研究によりわかっており、それならば集合の挙動だけを抽出して、外堀を埋める形で定義したほうがいいだろうというのが、多くの数学者のコンセンサスを得ている立場である。高級な理論を扱う現代数学者が、 逐一ZFCの公理系を確認しなくとも、安心して議論を進められるよう設計されているのだ。
もっとも、これは論理的な基礎に特別の興味を示さない「働く数学者」での話であり、「数学基礎論(Foundations of mathematics)」の方に目を向けると豊富な理論が展開されている。例えばZFCのうち、選択公理を外したZFでの数学はどうなるのかという話がある。第4節で扱う選択公理は、大雑把に言えば無限個の集合から、元を1つずつ選ぶような操作の存在を保証することをいう。
一部の数学者はこれに反対することがあった。その代表例が「直観主義」である。これは「数学とは数学者の直観に支えられているのだから、直観に反する考え方はやめよう」というふうな主義である。直観主義は「排中律」と呼ばれる、背理法や対偶法を肯定する数学の前提を認めない立場にあった。排中律とは命題には真か偽の状態しかないという公理である。背理法や対偶法の根拠がこの公理である。「\(\pi\)の小数展開の中に0が100個続く部分があるかどうか不明なように、現実には真か偽かわからない命題もあるだろう」というのが直観主義者の主張であった。 その延長線で、数学の全ては構成的(だいたい、手段を明示して、という意味)でなければならず、選択する操作の存在しか認めていない選択公理も否定する者がいた。このような理由から直観主義論理の上に展開される数学はどうしても結果に制限があり、いくつかの古典論理での初等的な帰結すらも意味を持たない。(例えば\(ab=0\)なら\(a\)\(b\)\(0\)という推論には排中律を要する)したがって、現在ではZFに加えてCも認める体系が標準となっているのだ。
なお、ZFやZFC以外にも集合論は存在する。集合の定義をするために「類(class)」という概念を認めるものや、そもそも集合を基礎とせず、"Topos(トポス)"という特殊な"圏"(第6章参照)を構成し、それによって数学を基礎付けるものもある。興味があれば調べてみるとよいだろう。